古代と中世が混在する街 ブリンディシ

ローマから550キロ、アッピア街道がたどりついた街
目の前はフリードリッヒ二世が建てたメザーニェ門
二千年現役の道を背中に、700年前の門をくぐって
ブリンディシに入ろう…

古代の道と中世の門が融合しているように、
ブリンディシにはさまざまな時が隣り合っている。
だから旧市街にあるいくつかの教会も、少しずつ違う顔をしている。
心惹かれたのは、サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会。
11-12世紀のものだ。

プーリア州にはたくさんロマネスクの教会があるが、
この教会は、バーリのサン・ニコラやトラーニの大聖堂のような、
三角形の先端を縦長に空に高くそびえさせているファサードを持たない。

白い石畳の小路を行くと、民家に囲まれた小さな空間が開けて、
そこにモンゴルのパオのように、背の低い、円形の建物が現れる。
えっ、これが教会 ? と、ロマネスクの典型的なファサードを想像していたので、
なんだか頼りないような気持になる。
でも、思いがけなさはすぐに、期待に変わっていく。

エントランス(それでもファサードと書くべきだろうか)には二本の柱。
柱頭や、扉の左右と上部を囲む浮彫には、懐かしい親しみがあって、
何年か前に訪れたチヴィダーレ・デル・フリウリの、
ロンゴバルドの修道院の装飾が思い出された。

サン・セポルクロというのはエルサレムにある聖墳墓である。
この教会は、聖地から帰還したテンプル騎士団が建てた。
ヴェネツィア共和国は十字軍遠征で、4頭のブロンズの馬や財宝を略奪してきた。
それらは今もサン・マルコ寺院を飾りたてている。
一方テンプル騎士団が建てた教会に残るのは、剥がれ落ち、傷つけられたフレスコ画だけ。
アドリア海に長い海岸線を持つプーリアは、
「サラセン」の海賊の、略奪や破壊にさらされた地でもあった。

小さな教会ゆえ、ぐるりとフレスコ画を見終わると、
あっというまにエントランスに戻ってしまう。
外に出ると、柱頭を支える獅子が、こちらを向いて笑っている。
彼は、かつては本当の獅子であった。
でも今は、訪れる人の手で愛でられすぎたためか、
強張った頬もたてがみもすっかり丸みを帯びてゆるみ、
今では老いた忠実な犬のように、口を大きく左右に開けて、
笑っているのだ。

また白い石畳を戻り、ドゥオモ広場を抜け、ヴィア・コロンネを西に歩く。
コロンネ、と複数なのは、最初は二本あったからだ。
もう一本はペストのドラマの末、プーリアのフィレンツェと呼ばれるレッチェに贈られた。

古代の円柱はよほど立派で、柱頭は高く、観察も大変だ。
柱の向うはもう海。
ギリシャやオリエントへ旅立つ人を送り、帰ってくる人たちを迎えた港。
すっかり忘れていた。
私もギリシャから船で、ブリンディシに着いたことがあった。
忘れるくらい昔のこと、古代や中世の時間に、海の泡ほどの記憶が溶けていった。

 

k.t.0505 - View my 'Puglia2014/Brindisi' set on Flickriver

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