65歳イタリア遊学記 第3回 ローマ留学(その2)

留学を決意してからいちばん心配だったのはやはり健康問題である。頑健とはほど遠く、どちらかといえば虚弱体質。血圧が高めの上に、近年は常時風邪っぽい症状に悩まされている。果たして真夏のローマを乗り切れるか、不安がいっぱいだった。


結果的には、寝込むようなことはなかったが、怪我に泣かされた留学生活だった。
まず、アパートに入居早々左腕を打撲した。(エレベーターがあるというのに)重いスーツケースを引きずりながら階段を5階まで上るというバカなことをして途中で腕をぶつけ、朝起きると左腕が腫れ上がっていた。
痛みはほとんどなかったが、内出血したらしく、皮膚がナスのように紫色になってきた。そのうち引くだろうと思っていたが、紫色の範囲は逆にどんどん広がり、教室ではみんなに見られないように隠していた。ためしにサロンパスを貼ってみたら、翌朝その部分だけ四角く紫が消えていたのはおもしろかった。
次の災難はローマに来て約1か月後。地下鉄の車中で、下車しようと席を立ったとたんに電車が急停車、つんのめって車内中央のポールに左足の親指をぶつけたのである。大したことはないだろうと思ったが、帰宅して指を見ると、やはり内出血して、親指の爪が真っ黒になっていた。(それにしても、まだ足でよかった。もし頭でもぶつけていたら…)。
しかし、この打撲が長引き、結果的に10日後のアクシデントにつながっていく。
足の親指は爪が完全に死んだ状態で、真っ黒になった上、かなり腫れ上がっていて靴を履いて歩くと痛む。ときどき出血もするので、思い切って外国人がよく履いている革のサンダルを買い、ローマ市民気取りで歩いてみた。
ローマの道
ところがある日、学校からの帰り道、テルミニ駅入り口の段差で転倒し、こんどは左足の太ももを強打したのである。なんでもない段差なのだが、サンダルが仇になった。革のサンダルは裏がつるつるなので、段差の傾斜部分に足を乗せたときにもろにすべり、ばったり前に倒れたのである。
地面に顔をぶつけ、めがねが飛んだ。口の中とひじから血が出ている。幸い学校は近いので、急いで取って返し、事務室で応急手当をしてもらった。そのときは気がつかなかったが、いちばんひどくぶつけたのは、顔やひじではなく、太ももだったのである。
帰宅すると、打撲箇所が痛み始め、太もも全体がどんどん腫れ上がってきた。どんな姿勢を取っても激痛が走るので、とりあえずサロンパスを貼ってじっとしているしかなかった。
翌日になって痛みはかなり引いたが、歩行が困難になってきた。ひざがギクシャクして満足に歩けない。間の悪いことに、その日から3日間、カラカラ浴場跡の野外オペラを観るためにローマにやってきた友人夫妻のお相手をしなければならなかったのである。もっとも、昼間は自分たちで行動してもらい、夜のお付き合いをしただけだが、ヨチヨチ歩きでカラカラ浴場跡へ行ったときの辛さは忘れられない。
次の日になっても、歩行困難は変わらない。家主に事情を話し、学校へ車で連れて行ってもらうことにした。家主は、そんなの軟膏でも塗ればすぐに治るさ、とこともなげに言うが、こちらのつらさは切実である。骨には異常はないと思ったが、学校側と相談した結果、念のため病院で見てもらうことになった。
病院へは学校の事務員がタクシーで付き添ってくれた上、病院での手続きもしてくれた。大きな病院で、ほとんど待たされることもなく診察室へ。触診の後、レントゲン撮影。結果は予想通りで、「単なる打撲傷。4~5日間あまり動かないようにしていれば治るだろう」との診断。
ちょっと驚いたのは、レントゲン撮影までしたのに、支払い請求がなかったこと。イタリアの医療制度はどうなっているのだろう。未だに不明である。
ともあれ一安心し、タクシーで帰宅して家主に結果を話すと、ニコリともせず「どうだ、おれの言ったとおりだろう」とそっけない返事。全く、憎たらしいおやじだ。
単なる「打撲傷」だから、2~3日すればどんどん良くなるだろうという観測は甘かった。良くなるどころか、別の症状が出てきたのである。翌々日、起床すると、ひざ小僧に紫色の斑点が出現し、ひざ全体が腫れ上がっている。ぶつけた箇所も痛み始めた。紫色の斑点はまたもや内出血らしく、しだいに濃密な紫色に変容し、ひざの周辺だけでなく、太ももの裏側にまで広がってきたのである。痛みもひどく、完全に歩行困難状態。
家主に腫れ上がった足を見せると、やっぱり軟膏を塗ったほうがいいと言うので、早速薬局で購入し、バールのトイレに入って塗った。ブキミだったのは、歩行中どうかするとひざがガクガクッと反対側に折れ曲がるような状態になることで、これはしばらく続いた。
それにしても、単なる太ももの打撲傷がひざにまで波及し、歩行に困難を来たすとは!
紫色の内出血はどんどん範囲が広がり、最後にはくるぶしの近くにまで達した。改めて、人間の肉体は有機的に出来ていることを知らされた。
結局、約3週間、地下鉄内でのアクシデントを入れると約1か月間、足の不調に泣かされたのである。その間、もちろん遠出はできず、登校時も足をいたわりながら、ヨチヨチ歩きの状態が続いた。
いちばんつらかったのは駅の階段である。特に下りがつらく、手すりにつかまりながら、1段1段下りるという有様。軟膏を塗っても痛みはなかなか消えず、ベッドに横たわり、冷水を入れたペットボトルで患部を冷やすという日々だった。
長かった苦闘も8月10日過ぎにはようやく終わった。思えば、貴重な約1か月間を足の負傷のためにロスしたようなものである。歩けなくても、読書や勉強はできるだろうと思われるかもしれないが、1か所でも痛いところがあるとそちらにばかり神経が行き、他のことには集中できないのである。少なくとも、小生の場合はそうだった。(何とか学校だけは、休み休みながら通学したが)。
そんなわけで、いつものように歩けるようになったときのうれしさは格別だった。ロスを取り戻そうと、早速町歩きを再開した。日記をもとに「負傷後」の行動を再現すると…
8月12日  チルコ・マッシモからサンタ・マリア・イン・コスメディン教会を経てサンタ・サビーナ教会へ。
8月13日 ポポロ広場とポポロ教会を見て、スペイン広場へ。
8月14日 サン・アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会とサン・ルイージ教会。
8月15日 トラステヴェレの教会めぐりをした後、テルミニ駅まで3.5時間歩く。
8月18日 少し遠出してヴィテルボへ行く。
8月19日 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテーラノ教会からサン・クレメント教会へ。
8月21日 また足を伸ばして、念願のオルヴィエートへ。
と、こんな具合に、貪欲に町歩きを楽しんだ。
ローマではまだまだ行きたい所がいっぱいあったが、それはまたの機会のお預けとなってしまった。(続く)
                            大井 光隆

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1 Comment on 65歳イタリア遊学記 第3回 ローマ留学(その2)

  1. takekawa // 2008/6/2 at 23:23 // 返信

    うわ~!
    読んでいるだけで痛くなってきます。
    異国で怪我したり病気になった時の心細さはひとしおですし…
    でも骨折でなくて本当によかった。
    イタリアではある種の病院が治療費が無料のようです。
    私も湿疹で受信したときの診察代が無料でした(薬代はかかりましたが)。
    でも病院や治療によっては高額な医療費がかかるとも聞いています。
    その点もよかったですね。
    しかしその後の精力的な”歩き”には驚きました。

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