65歳イタリア遊学記 第2回 ローマ留学(その1)

前回はもっぱらホームステイのことだけを書いた。
今回からの3回は留学生活を中心に書いてみようと思う。
留学先はテルミニ駅近くのDILITという学校で、6月18日から8月31日まで11週間在籍した。この学校は毎週月曜日に新入生を受け入れていて、初日にレベルチェックの小テストを受けた後、各人のレベルに合ったクラスに配属される。


小生が配属されたのは12人のクラスで、予想通り大半は20代前半の若者たち。しかし、50過ぎと思われる年配者も二人いた。
この学校は特別なテキストやカリキュラムはないらしく、毎回講師の配るプリントをもとに授業が進められる。プリントは文法書のコピーらしい。問題を解いた後、二人ずつペアになって答をチェックし合う。終わると、相手を変え再び相互チェック。
3~4人でグループになって照合し合うこともあるが、その都度いす付きのデスクを引きずって移動するのは、正直に言っていささか面倒だった。
11時前後に20分間の休憩が入り、午後は主にリスニング。
ナチュラルスピードのテープを繰り返し聞き、ペアになって聞き取れたことを話し合う。当然のことながら、お互いにほとんど理解できていないので、勝手なことをおぼつかないイタリア語で話し合う。
その後は「長文読解」。40~60行前後の文章を2分間(!)で読み、またペアやグループで話し合う。「条件法」や「接続法」も入った手加減のない文章。しかも、各行に平均して未知の単語が2~3語はある。「話し合いなさい」と言われても、お互いにほとんどわかっていないのだから戸惑ってしまうことが多かった。
11週間の間に5人の講師に習った。ローテーションで講師が代わったケースが多かったが、授業内容が不満で、別のクラスに替えてもらったこともある。しかし、その講師の教え方にも納得できず、抗議を申し入れたことも。
どうやらこの学校の方針らしいのだが、テストが済んでも生徒同士でチェックし合うだけで、先生は答を教えてくれないのである。何が「正解」なのかがわからないのではフラストレーションがたまってしまうが、先生は「話す」ことに意味があるのだからそれでいいと言う。一理あるとは思うが、このやり方には最後までなじめなかった。
授業のマンネリ化を避けるための「ゲーム」はそれなりにおもしろかった。
アナウンサーになったつもりで、「本日のニュース」を発表したり、学芸会もどきのお芝居をしたり、有名人になったつもりでインタビューを受けたり、イタリアンポップスの歌詞を読んだ後みんなで一緒に歌ったり。もっとも、若者に交じって慣れない「演技」をするのは、不器用な老生にはかなり苦痛ではあったが…。
イタリア語学校のクラスメイト
クラスメートはまことに国際色豊かだった。北はロシアから南はブラジルまで、肌の色はさまざま。アジア系も結構多く、韓国の女性たちとはすぐ親しくなった。日本人は意外に少なかったが、4月から1年間の予定で勉強するという通称・コージ君とは毎朝食堂で話しているうちに親しくなり、いろいろ相談に乗ってもらった。
相談相手といえば、テリーさんというイタリア人女性を忘れるわけにはいかない。彼女との出会いは全くの偶然だった。小生の趣味の一つである俳句がきっかけで日本のイタリア語教室の先生から紹介され、3か月ほどメールの交換をしていたが、ローマのDILIT校に留学することになったことを伝えると、何と彼女は学校から歩いて10分くらいのところに住んでいるいう。
ローマに着いたらすぐにでも会いたいと言うので、入学初日に学校で会うことにした。彼女は最近出したという「句集」を携えて学校まで来てくれた。その後、何度も逢瀬を重ね(といっても、もちろん食事だけだが)、俳句の話や日本の話などをした。彼女は東洋の芸術が好きで、かなり以前からイタリア語のHAIKUを作っているのである。
HAIKUはもう何十年も前から世界中で盛んに行われており、「世界一短い詩」として人気があるが、似ているのは「短い詩」ということだけで、日本のいわゆる「伝統俳句」とはおのずから別物である。テリーさんのHAIKUも同様で、俳句をやっている日本人の小生の感想を聞きたいというが、正直に言って困ってしまった。
俳句はわずか17音の詩であるから、日本語(特に季語)の持つ「含み」がきわめて重要なポイントになる。そのため、外国語で書かれたHAIKUを「俳句」として批評するのはほとんど不可能である。あくまで、俳句に似たスタイルで作られた短詩と考えたほうがよさそうである。参考までに、テリーさんの作ったHAIKUの一例を紹介することにする。
 bisbiglia il vento (風がささやく)
 tra i platani nudi (落葉したプラタナスの樹々の間)
 voci dei morti   (死者たちの声)
ちなみに、小生は定年退職後、友人と二人だけで「俳句遊び」をしている。イタリアへ来てからも、句を作って友人に送ろうと思っていたのだが、なぜか一向に浮かばない。どうも空気の乾燥したイタリアは俳句を作るのに適していないのではないかと思う。俳句はやはり、湿潤な日本の風土から生まれた文芸かもしれない。それでも、無理やりでっち上げた「俳句」を披露させていただこう。
 悠久のローマの遺跡芥子一輪
 磔刑の聖者の胸の赤き薔薇
 ベランダにパラソル開くローマの夏
 払暁のアッピア街道鳥の声
俳句のことはさておき、彼女はとても親切な女性で、定期券の買い方を教えてくれたり、カラカラ浴場跡でオペラを観る予定があると言うと、オペラがはねたあとにタクシーを予約する方法まで教えてくれた。元教師という彼女は、いかにも先生らしく、こうこうこう言って予約するのよ、と「正しい」表現まで教えてくれるのである。最後のデート(?)では、ジェラートをほおばりながら満月のローマの町をそぞろ歩いた。
「ホームステイ」は期待はずれだったが、テリーさんやコージ君のおかげで異国での孤独をまぎらわすことができたのはまことに幸運だった。
留学も終わりに近づいた頃、二人の日本人が新しくDILIT校に入学してきた。50代前半と思われるK氏と、自分より年上らしいS氏である。S氏の年齢を聞いて驚いた。何と74歳だという。
彼は65歳の年にイタリア語の学習を開始し、その後すでに4回イタリア留学を経験しているという。世の中にはすごい人がいるものだと驚くと同時に、勇気づけられもした。健康に恵まれ、強いモチベーションさえあれば、いくつになっても留学はできるということを再認識した次第である。(続く)
                             大 井 光 隆

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2 Comments on 65歳イタリア遊学記 第2回 ローマ留学(その1)

  1. takekawa // 2008/5/25 at 23:54 // 返信

    いざイタリアで授業に参加すると、
    日本の方式と違うことばかりでとまどうことも多いですよね。
    私の経験でも学校が違えば、というより教師が違えば、
    授業の進め方はかなり異なりました。
    そんな授業の風景も目に浮かぶようですが、
    今回はテリーさんと大井さんの日伊の俳句が面白かったです。
    大井さんの句は滞在された季節の、からりとしたローマの空気感と色彩が鮮やかで、
    一方テリーさんの句も、俳句とは違うにしても、
    秋の余韻のある風の音を聞いたような気がしました。

  2. JOYママ // 2008/5/27 at 21:21 // 返信

    私も昔、Firenzeの語学学校に留学した事を(2ヶ月だけ)思い出しました。
    私のクラスはヴァカンスのドイツ人が多く
    イタリア語のクラスかドイツ語か解らないほど
    先生がいくら「イタリア語で話しましょう」と言っても
    全然聞きませんでしたね
    でも、先生はとても感じの良いイタリア女性でFirenze大学の学生さんでした
    懐かしいですね
    74歳で留学ですか?
    ん~~!あとを年以上未来でも、
    私にも時間と資力と体力があれば
    まだチャレンジの機会がありますね
    楽しみです

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